ジョエル&イーサン・コーエン  
Joel & Ethan Coen

ジョエル イーサン
 ジョ工ルが監督し、弟のイーサンが製作、そして共同で脚本を書くコーエン兄弟の兄。ニューヨーク大学映画学科卒業後(イーサンはプリンストン大哲学料卒〉、サム・ライミのもとで編集などを担当していた。1984年に兄弟で資金を集め、「ブラッドシンプル」を製作。この作品で注自され、メジャーに進出。ミネソタ州ミネアポリス出身。

 兄ジョエルが1954年11月29日、弟イーサンが1957年9月21日生まれ。両 親ともに大学教授のユダヤ系家庭で育つが、ジョエルが8歳の時に8mmカメラを手に入れ、夢中で見て いたテレビ映画の真似を兄弟で始める。成長して、ジョエルはニューヨーク大学映画学科に入学、イーサンはプリンストン大学で哲学を専攻する。80年にイーサンがニューヨークに移り、兄弟は同居を始 める。ジョエルはサム・ライミの低予算ホラー『死霊のはらわた』(83)の編集助手などホラー映画のスタッフを開始、イーサンはデパート(メイシーズ)で働きながら脚本を書き始める。二人は共同で何本かの脚本を書き下ろし、買い上げられたものもあった。その1本が85年に公開されたサム・ライミ監督の『xyzマーダーズ』である。

 80年に共同で脚本を書き上げ、81年に製作を開始、82年10月にシューティング、83年に編集、84年に完成して配給準備に入り、85年にようやく公開にこぎ付けたのがジョエルの監督処女作『ブラッドシンプル』であった。メジャーの配給会社に断られ続けたこの作品は、後に協力者となるベン・バレンホルツの小さな配給会社によって配給され、話題を呼んで大ヒット・ロングランとなった。結果的にナショナル・ボード・オブ・レビュー作品賞を受賞、"タイム"、"ワシントン・ポスト"、"usaトゥデイ"などの ベストテンに選ばれた。
ブラッドシンプル(84) 赤ちゃん泥棒〈87)
ミラーズ・クロツシング〈90〉 パートン・フインク(91〉
未来は今(94〉 フアーゴ(96)
ビッグ リボウスキー(98) オー ブラザー(2000/米)
バーバー(米/2001) ディボース・ショウ(2003/米)
レディ キラー(2004/米) ノー カントリー(2007/米)
バーン アフター リーディング(2008/米) シリアスマン(2009/米)
トゥルー・グリット(2010/米) インサイド・ルーウィン・デイヴィス(2013/米仏)

映画監督の一覧に戻る