ヴィム・ヴェンダース
wim wenders
 1945年8月14日デュッセルドルフで外科医の息子として生まれる。両親が名付けたヴィムはオランダに起源する母方の家系からきているが、適切なドイツ名でないという理由で当局に拒否されたため、パスポートの表記はエルンスト・ウイルヘルム・ヴェンダースだという。
 オーベルハウゼンのギムナジウムを卒業後、大学で薬学と哲学を学ぶが、画家を志望して中退。1966年10月パリに渡る。しかし、美大の試験に落ち、モンパルナスでアメリカ人の芸術家ジョニー・フリードラ版画を学ぶ。この時、シネマテーク・フランセーズに通いつめ、多い日は1日に5本、最終的に1000本以上の映画を観る生活を送っていた。翌年ドイツに戻って、ちょうど設立されたhff(ミュンヘン映画・テレビ学校)に入学し、hffで学ぶ傍ら映画評論家として雑誌、新聞等に多数の映画評を執筆する。
 1970年にニュー・ジャーマン・シネマと呼ばれるムーブメントの核となる制作・配給会社フィルムフェアラーク・デア・アウトーレンを14人のドイツ人監督と共に設立する。1976年ベルリンにロードムービーズ・フィルム・プロダクション設立。
都市の夏<未>(1970) ゴールキーパーの不安(1971)
緋文字<未>(1972) 都会のアリス(1973)
まわり道(1974) さすらい(1975)
左利きの女<未>(1977) アメリカの友人(1977)
ニックス・ムービー/水上の稲妻<未>(1980) ことの次第(1981)
ハメット(1982) パリ、テキサス(1984)
東京画(1985) ベルリン・天使の詩(1987)
鉄の大地、銅の空(1987) 都市とモードのビデオノート(1989)
夢の涯てまでも(1991) 時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース(1993)
ベルリンのリュミエール(1995) キング・オブ・フィルム/巨匠たちの60秒<未(1995)
愛のめぐりあい(1995) リスボン物語(1995)
エンド・オブ・バイオレンス(1997) ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ(1999)
ミリオンダラー・ホテル(2000) 10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス(2002)
ソウル・オブ・マン(2003) ランド・オブ・プレンティ(2004)
アメリカ、家族のいる風景(2005/米)

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